「なぜ、人は本を読むのだろうか。」——この一文を見つけたら、問いかけの答えを探すサインです。
こんにちは。塾業界で20年以上、中学受験塾の塾長も務めてきたまつもも先生です。
「本文を読まなくていいシリーズ」の続きです。今日は、問いかけの文に注目します。これも、筆者の主張を見つける、確実な目印です。
説明文には、「問いかけ」が出てくる
説明文や論説文を読んでいると、こういう文に出会うことがあります。
なぜ、人は本を読むのだろうか。
では、私たちにできることは何だろうか。
本当にそれでいいのだろうか。
筆者が、読者に問いかける文です。「〜だろうか」「〜のだろう」「〜でしょうか」という形で終わっています。
問いかけには、必ず答えがある
ここが今日いちばん大事なところです。
問いかけの文が出てきたら、その答えになる文が、必ずどこかにあります。
考えてみれば、当たり前のことです。筆者は、疑問を投げっぱなしにしません。問いかけは、これから答えを言うための予告です。読者に「これから何について話すよ」と伝えるための、いわば見出しのような役割をしています。
だから、問いかけの文を見つけたら、そこで止まらず、必ず、その答えを探しにいってください。
探す場所は「問いかけのあと」
答えは、たいてい問いかけの文の、あとに書かれています。
なぜ、人は本を読むのだろうか。それは、知らない世界に出会うためである。
このように、問いかけのすぐ後ろの文で、答えが示されることがあります。見つけたら、線を引いてください。
具体例を挟んで離れた場所に答えがあることもありますが、まずは直後から探すのが基本です。指示語の記事で「直前を探す」とお伝えしたのと同じ考え方で、こちらは直後を探します。
なぜ、これが筆者の主張になるのか
問いかけとその答えが、なぜ大事なのか。理由はシンプルです。
筆者は、いちばん伝えたいことを、問いかけの形にして読者に投げかけているからです。
ただの説明として書くより、「なぜだろうか」と問いを立てたほうが、読者は「え、なんでだろう」と考えながら読み進めます。筆者は、そうやって読者を引き込みながら、いちばん言いたいことへと導いているのです。
つまり、問いかけの答えは、その文章の中心テーマであることが、非常に多い。問いかけを見つけて、答えを見つける——これだけで、文章の骨組みが見えてきます。
文末の型とあわせて使う
以前、「〜のである」「〜べきだ」という文末の型で主張を見つける方法をお伝えしました。
問いかけの答えは、この文末の型と重なることがよくあります。
なぜ、私たちは自然を大切にすべきなのだろうか。それは、自然が失われれば、私たち自身の暮らしも失われるからなのである。
問いかけ → 答え → その答えが「〜のである」で締めくくられる。3つの目印が重なる場所は、その文章でいちばん大事な一文だと考えて、ほぼ間違いありません。
問いかけが「段落のはじめ」にあるとき
長い説明文では、段落や意味段落のはじめに問いかけが置かれることもあります。
段落の役割の記事で、「話題を出す段落」というお話をしました。問いかけの文は、まさにこの話題を出す役割を果たしていることが多いのです。
「これから、この話をしますよ」という問いかけがあれば、そのあとの段落(またはいくつかの段落)全体が、その答えになっていると考えてください。答えが1文で終わらず、数段落にわたって説明されることもあります。
家庭では「?がある文、探してみて」
家庭でおすすめなのは、こんな声かけです。
「この文章の中で、”だろうか”とか”でしょうか”って聞いてる文、あるかな?」
見つかったら、**「じゃあ、その答え、探してみて」**と続けます。
問いかけを見つける → 答えを探す → 線を引く。この一連の動きを癖づけることが目標です。何度もくり返すうちに、子どもは説明文を読むたびに、無意識にこの動きをするようになります。
これを意識する癖がつけば、説明文はもう怖くありません。
まとめ
- 説明文には、「〜だろうか」という問いかけの文が出てくる
- 問いかけには、必ずどこかに答えがある——探して、線を引く
- 答えは問いかけのすぐあとにあることが多い
- 問いかけと答えは、筆者の主張・文章の中心テーマであることが非常に多い
- 「〜のである」などの文末の型と重なれば、なお確実
- これを癖づけることが、説明文攻略の近道
次に説明文を読むとき、「だろうか」「でしょうか」を探してみてください。見つけたら、すぐその後ろに、答えが待っています。

コメント